集英社新書から拙著『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想 』が12月16日に発売されました。 ジャーナリストとして<「イスラム国」のリアル>を探ったものです。 巻末の「おわりに」を引用します。
-------------------------------- イスラム国本のカバー


 私はこれまで新聞社の中東特派員として中東取材をもとに、イラク戦争やエジプト革命、イスラム社会などについて中東に関するルポを出版してきた。本書はルポではないが、中東を歩いてきたジャーナリストとしての視点で、現在、世界を震撼させている「イスラム国」について考察したものである。

  「イスラム国」と言えば、その暴力的で残忍な行動や、過激で厳格な思想など異常な側面ばかりが注目される。まるで現実世界から切り離されたカルト集団のような扱いである。しかし、「イスラム国」が単なる過激思想の集団であれば、これほどの問題とはならなかっただろう。重大なのは、この組織が日本の本州にも匹敵する最大20万平方キロの広大な土地を支配し、そこで1000万の人口を統治下に置き、中東や欧米から3万人以上の若者を集めるなど、極めて現実に食い込んだ存在となっていることである。

 この本での私の狙いは、実体がよくわからないまま、悪の権化のように誇張され、幻想化されている「イスラム国」という存在を、現在の中東と世界の現実に引き戻すことにあった。過激な集団が、なぜ、どのようにして中東の一角で「国」にも匹敵するような存在となったのか、何が、その思想や行動を支えているのか、という問題意識から「イスラム国」脱・幻想化することである。

 イラクのサダム・フセイン体制を支えていた旧治安情報機関と「イスラム国」の関係や、強権体制に対して立ち上がった若者の反乱である「アラブの春」との関係、さらにスンニ派部族との関係など、本来は過激なイスラム思想とは関係ない力が、「イスラム国」に流れ込んでいる要素を描くことに紙面を割いた。「イスラム国」の力の源泉を解明することで、単なる過激思想の集団ではないことを明らかにしつつ、どうすれば封じ込めることができるのかを考えようという意図である。

 いま、欧米でも日本でも、「イスラム国」が中東の混乱を引き起こしている最大の原因のように思われているが、私は本書で繰り返し書いたように、「イスラム国」は第1義的には混乱の原因ではなく、混乱の結果なのである。その混乱は、米国による誤ったイラク戦争と、誤ったイラク駐留がもたらされ、さらに、自由も平等もないアラブ世界の強権体制に対する若者たちの反乱である「アラブの春」に対するアラブ世界の暴力的な封殺が帰結したものでもある。

 「イスラム国」をめぐっては「グローバル・ジハード」や「グローバル・テロ」という認定が広く行われているが、これもまた米欧と「イスラム国」自身によって醸成された幻想であろう。「イスラム国」の原型は2006年にイラクで生まれた「イラク・イスラム国」であるが、2014年まで全く「グローバル」でなかったことは、本書の中で書いたとおりである。「イスラム国」が世界のイスラム教徒にテロを呼びかけるのは、米欧が「イスラム国」に対して「グローバルな対テロ戦争」として空爆を始めた後なのである。

 有志連合の空爆によって「イスラム国」は「スンニ派の受難」の象徴となった。欧米にすむイスラム教徒自身が生まれ育った国で抱く不満や怒りを「イスラム国」と結びつけて自国に対するテロに走るという形で「グローバル・テロ」状態が生まれた。2015年11月のパリ同時多発テロの現場からシリア旅券が発見されたというような怪情報がメディアに流布したが、結局、欧米で起きていているテロは「イスラム国」が送り込んだ「テロリスト」によってではなく、欧米で生まれ育ったイスラム教徒によって起こされているのである。

 「イスラム国」は殊更に自分たちが欧米と敵対する構図を示すことによって、世界を分裂させようとしている。欧米人や湯川さん・後藤さんの二人の日本人を斬殺し、その映像をインターネットで公開し、さらには欧米・アジアなど遠い場所で起こるテロに「カリフ国の戦士による作戦」とお墨付きを与えて、世界に恐怖を吹き込む。いずれも、インターネットをつかって自身を「怪物化」する手法であるが、米欧も安易な軍事的手段に訴えることによって「イスラム国」の肥大化に手を貸している。

 「イスラム国」のような過激な思想を持つ組織が、なぜ、中東で現実の力となり、世界を振り回すことになっているのかという素朴な疑問から出発するしかない。シーア派を「不信仰者」としてテロの標的とするような過激な思想は、シーア派とスンニ派が混住するイラクでは本来、なじまないものである。「イスラム国」がモスル制圧を実現した時、共に行動したスンニ派部族の指導者の話を紹介したが、彼らはスンニ派を抑圧するシーア派政権には対抗するが、シーア派を敵意するつもりはない、と明言した。

 シーア派を敵視する「イスラム国」は国が機能しスンニ派も含むパワー・シェアリングが行われ、「スンニ派の受難」を終わらせるならば、スンニ派の中でも忌避され、現実の影響力を失うはずである。しかし、米欧は「イスラム国」の詐術にかかっているかのように安易な武力行使に走り、スンニ派全体を追いつめ、足元のイスラム教徒をテロにけしかけているのである。

 「イスラム国」に対する幻想は、ドイツにきたシリア難民への調査でも明らかになっている。2015年10月、ドイツで人権組織が実施した約900人の難民の調査で「70%がアサド政権の攻撃から逃れたと答えた」という結果を、ドイツの国際放送「ドイチェ・ヴェレ(DW)」が伝えた。興味深いのはその調査に関わったドイツ人人権活動家の次のようなコメントである。

 「ドイツでは多くのシリア難民が出ているのはISのせいだというイメージが広がっているが、それとは異なる調査結果が出て驚いている。ISとの戦いを続けても、難民を減らすことにはならないということを示す。ドイツの外交官は念頭に置いておくべきだ」

 要するに、世界の大問題となっているシリア難民の解決は、空爆や樽爆弾を使って市民を無差別に殺戮するアサド政権の暴力をいかに終わらせるかが前提である。いたいけない子供が空爆で崩れたビルの瓦礫のなかから掘り出される映像が日々、発信されている一方で、その悲劇を終わらせようとしないで、「イスラム国」を空爆することにどのような意味があるだろうか。

 2015年に100万人のシリア難民を受け入れ、シリア内戦が引き起こした現実に直面しているドイツでさえ、「イスラム国」の肥大化したイメージにごまかされ、現実をとらえられていない。DWが書く「多くのシリア難民が出ているのはISのせいだというイメージ」はドイツ人だけに広がっているのではなく、難民問題を引き受けようとしない欧米諸国や日本ではもっと深刻であろう。

 このまま世界が「イスラム国」の幻想に振り回され、中東に軍事的な対応を続け、さらにシリア、イラク、イエメン、エジプト、リビア、パレスチナなどで続く、中東の中での軍事的な対応に対しても等閑視を続けるならば、「イスラム国」の問題は、第7章で書いたような新たな中東危機につながっていくだろう。

 2015年3月18日付の朝日新聞のオピニオン面に『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(文芸春秋社)の著者でイタリア人ジャーナリスト、ロレッタ・ナポリオーニ氏のインタビューが掲載され、「イスラム国」をめぐって「ISのローマ侵攻まで心配する報道がある」というイタリアメディアの騒ぎぶりを挙げながら、「私たちはISが欧州でできることを過大評価し、中東での脅威を過小評価している」と指摘している。中東の危うい現実を知っているジャーナリストであれば、当然の反応である。

 中東では、民間人が虫けらのように殺戮されているシリア内戦の悲劇が放置されているだけでなく、たびたびイスラエル軍による大規模軍事作戦にさらされるパレスチナも、自由も民主主義もない強権体制の横行も、スンニ派とシーア派の対立も、若者たちを絶望に追い込む広がる貧富の差など、いたるところに危機につながるひずみがある。

 中東ではある日突然、マグマが噴き出すように最悪の危機が到来し、世界を驚愕させる。「イスラム国」が中東の矛盾を体現する以上、「イスラム国」への対応を間違えば、それが次の危機を生むことになるのは自明のことである。

【目次】
第1章 世界に拡散するテロと「イスラム国」の関係
第2章 「イスラム国」とグローバル・ジハード
第3章 「イスラム国」とアルカイダ
第4章 「イスラム国」とアラブの春
第5章 「イスラム国」を支える影の存在
第6章 スンニ派の受難とテロの拡散
第7章 「イスラム国」と中東への脅威