*朝日新聞WEBRONZA 2015年01月14日
フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」の襲撃事件を考える時、そのような思いを強くする。「イスラム国」を生み出した暴力の発端は、イラクにミリタリズムを蔓延させた米ブッシュ政権によるイラク戦争であることは、原稿の(上)で触れた。
フランスの襲撃事件と中東のミリタリズム(上) 欧米で武装テロが続く転換点か?
ブッシュ政権は、イラク戦争の開戦の理由として、フセイン政権の大量破壊兵器の保持とともに、同政権がアルカイダと協力関係にあることの2点を挙げた。しかし、戦後に米議会による調査委員会で開戦理由が2つとも否定された。アルカイダは、イラク戦争の後に入ってきた外部の勢力なのである。
イラク戦争後に蔓延したミリタリズムによって、イラクのアルカイダは、本家のアルカイダをも凌駕する戦闘能力を持つ「イラク・イスラム国」に変わった。それがシリア内戦を経て、「イスラム国」となった。
イラクの部族やスンニ派の若者たちが「イスラム国」に参戦することで、イラク第2の都市モスルを制圧し、国境をまたいで勢力を拡大した。「イスラム国」は、戦争と内戦によって、肥え太ったのである。
2014年6月、イラク北部のクルド人地区で、モスルから逃げてきた難民の取材をした時に、一人の男性が「私はスンニ派部族でアルカイダと戦ったが、私のおいは『イスラム国』に参加した」と語った。
イラク戦争後、選挙を制したシーア派の支配のもとで、スンニ派の若者の間には失業が広がり、希望を失っていた。さらに「アラブの春」が暗転していく過程で、リビアやチュニジア、エジプト、サウジアラビアなどアラブ世界から「イスラム国」に参戦する若者が増えている。
「イスラム国」の肥大化は、いまの中東の混迷を象徴している。今日(2015年1月14日)は、チュニジアの強権体制が崩壊し、「アラブの春」が始まって4年目である。チュニジアに続いて、エジプトの若者たちがデモをはじめ、18日間で政権は崩壊した。その時は、「もう、アルカイダの時代は終わった」と言われた。
若者たちの間に、自由、公正、民主化への時代が訪れるという希望が膨らんだ。しかし、その夢は、政権と軍隊や民兵によるミリタリズムによって押しつぶされてしまった。
「アラブの春」が暗転し、若者たちが希望を失っていくのと交差するように、「イスラム国」が勢力を増してくる。まるで、若者たちの絶望や怒りを吸収して太っていくように。
「イスラム国」の中から発信されるインターネットの動画サイト、ユーチューブの画像には、20代、30代の若者たちがあふれている。イスラムの指導者であるカリフを名乗るバグダディが40代前半であるから、「イスラム国」とはまさに若者集団である。
ほとんどは20代、30代の若者たちである。サラフィー主義者と言っても、大半は非暴力である。
集会は、「イスラム法の実施」を求めるサラフィー主義者の平和的な集会だった。ただし、広場では、いま「イスラム国」のシンボルとなったイスラムの黒旗も振られていた。
当時はまだ「自由な空気」があり、サラフィー主義者がタハリール広場で政治的な主張をしていたことが、いまでは懐かしく思える。
中東でデモから武力行使への転換点は、2012年9月にあった米国でのイスラム預言者を中傷する映画に反対する抗議デモが広がった時である。
当時は、エジプトはイスラム穏健派のムスリム同胞団が主導するムルシ政権だった。エジプト革命の舞台となったカイロのタハリール広場でも抗議のデモがあったが、広場の近くにある米国大使館の前では、黒旗を掲げる若者たちが投石などを始めたため、治安部隊が催涙弾をつかって追い払う事態になった。
同胞団も大規模な抗議集会を予定していたが、混乱が広がるのを恐れて、集会を中止した。その結果、エジプトでの反米抗議は急速に下火になった。選挙で選ばれた同胞団政権は暴力が噴出するのを抑えた。
この時、オバマ大統領からムルシ大統領に対して、「カイロの米大使館の安全確保のためにエジプト政府がとった努力を感謝する」という親書が届いたという情報が、ムルシ氏のフェースブックサイトで明らかにされた。
それとは対照的に、リビアでは抗議デモが激化するなかで、米国大使は首都トリポリから西部のベンガジの米国領事館に移っていたが、アルカイダともつながるイスラム過激派の若者たちが領事館を襲撃し、大使は殺されてしまった。リビアでは内戦の最後にカダフィ自身が反体制派に拘束されて、惨殺された。暴力が暴走するリビアでの危険な兆候は、その時からあったと考えるしかない。
イスラムを実現しようとする政治運動では、ムスリム同胞団は「ダーワ(呼びかけ)」と呼ばれる貧困救済や教育などの民衆への働きかけによって社会にイスラムを浸透させようとする穏健派である。
それに対して、「ジハード(聖戦)」によって「イスラムの敵」を打倒してイスラムを実現しようとする過激派がいる。エジプトでイスラエルとの平和条約を結んだサダト大統領を暗殺したジハード団は、武装過激派であり、現在、アルカイダを率いるザワヒリはもともとジハード団の指導者から、アルカイダと合流した。
ジハード団やアルカイダなどの武装過激派は、ムバラク時代に弾圧されながらも、選挙に参加してきた同胞団を、「裏切り者」として批判してきた。シリアで自由シリア軍と連携した反体制派のイラク国民連合でも、最大勢力はシリアのムスリム同胞団だった。
いま、穏健派のムスリム同胞団はエジプト軍によって政治から排除され、シリアでもアサド政権の軍事強硬路線によって和平を目指した反体制派が封じ込められ、再び、イスラム武闘派のアルカイダと「イスラム国」のミリタリズムが若者たちをひきつけている。
中東の権力や軍隊の側のミリタリズムによって、平和的な手段によって、政治参加や社会的公正を実現する社会改革を実現する道が見えなくなったためであろう。
中東での暴力の蔓延は、中東だけで終わるものではなく、欧米にいるイスラム過激派をも勢いづかせることが、今回のフランスの新聞社襲撃事件から見えてくる。
米国オバマ大統領は、エジプトの軍クーデターでも、シリア内戦の激化でも、国際社会を動かして、状況の悪化を止めようとはしなかった。イスラエルのガザ攻撃では、途中で調停の役さえ放棄した。
ところが、「イスラム国」が出現した途端、まるで攻撃する敵を見出したかのように、サウジアラビアなど湾岸諸国や、欧州諸国の先頭にたって、空爆を始めた。
しかし、「イスラム国」は、9・11事件の対応を間違って、戦争という手段をとり、イラクと中東にミリタリズムをまき散らしたブッシュ政権のツケである。さらにブッシュ政権の失敗の清算を掲げて登場したオバマ大統領は、中東で和平を構築する戦略も指導力もなく、その政権下で、中東の混迷は深まるばかりだった。
中東でのミリタリズムの蔓延は、中東の民主化や平和をつぶしただけではなく、今回、フランスでの新聞社への武装テロという形をとって出現したといえよう。
かつては、イスラム預言者の風刺画に対して、イスラム教徒が抗議のデモを行っていたのに、今回は、武装した過激派による新聞社襲撃となった。デモの時代が終わり、歯止めのない武力行使の応酬が続く中東情勢と符号しているかのようである。
パリのテロは重大な結果を引き起こしたが、欧米が自分たちの隣人となったイスラム教徒を危険視し、力で抑えむような方向に進めば、現状に不満を持つ若者たちを過激派に追いやることになる。
世界のメディアの目をくぎ付けにした大ニュースではあるが、事件を起こした実行犯はわずか3人である。過激派のテロは治安対策で取り締まらねばならないが、これ以上、過激派を増やさないような対話に基づく働きかけが必要である。
さらに欧米の中だけでの対応ではなく、蔓延するミリタリズムの根源である中東の政治混乱の正常化のために、国際社会は本腰をいれなければならない時にきている。
初出はWEBRONZA
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015011300004.html
(本文:約3440文字)
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