先週末、長崎県佐世保市にある長崎県立大学で新聞会主催「シリア内戦と日本の関わり」という講演をしました。

 佐世保は私が高校時代を過ごした町で、私の亡母の故郷でもあります。母は昭和6年生まれで、生前、昭和20年に13歳の時に体験した佐世保空襲の下で逃げ回った経験を繰り返し話していました。昭和20年(1945年)6月29日未明に米軍のB29爆撃機100機以上による空襲・空爆によって、2時間で1200人が死亡した悲劇です。

 私は佐世保を訪れたのは15年ぶりでした。県立大学の講演は午後からだったので、午前中、市中心部の戸尾町に2006年にオープンした「佐世保空襲資料室」を訪ねました。いまは市民施設になっている旧戸尾小学校に2006年に市民の手で作られました。戸尾小学校は戦前、私の母が通った小学校でした。

 私は母の話だけで佐世保空襲を知っていましたが、空襲資料室に展示されている様々な遺品や焼け野原となった佐世保市内の写真を見て、母が語った13歳の少女が逃げ回ったという恐怖が、現実のものとして迫ってくるように感じました。
佐世保空襲

 ※終戦直後に撮影された佐世保市中心部の写真。空襲によって焼け野原となっている(佐世保空襲資料室展示) 

 講演では、シリア内戦でおびただしい市民(民間人)の死者を出しているのはアサド政権軍とロシア軍の空爆であるという事実を指摘し、アレッポで、傷ついた子供たちが瓦礫から救出されるYOUTUBE画像も見せました。私は中東を専門とするジャーナリストですが、中東の現実を伝えるだけではなく、日本とのつながりで見なければならないと考えています。

 講演の中でも、シリア内戦の状況を示した後、佐世保空襲資料室で複写した終戦直後の佐世保の焼け野原の写真を見せて、いま続くシリア内戦での空爆の悲劇は、私の亡母が子供時代に経験した佐世保空襲がいまも繰り返されているとしか思えないと話しました。無差別に市民を殺戮する<空襲・空爆>は、いまイスラエル軍によるガザ攻撃やシリア内戦で続いていることを指摘しました。

 <空襲/空爆>では、日本は、ドイツ軍のゲルニカ空爆とともに、中国の重慶爆撃を行った加害国であり、米軍の本土空襲で30万人以上の死者を出した被害国でもあります。「佐世保空襲資料館」では記録する会の人が、72年前の空襲の記憶が風化することへの危惧を語っておられました。

 日本人の<空襲/空爆>体験は、自分たちの過去の空爆の被害が若い世代に受け継がれていないという意味で記憶が風化しただけでなく、さらに現在、シリア内戦で続いている<空襲/空爆>の悲劇を、自分たちのつながりでとらえられないという意味で意識が風化しているのでしょう。

 70年の時を超えてのシリア内戦と日本は、<空襲/空爆>の悲劇でつながります。日本にはまだ全国に、空襲の悲劇を経験した証人がいます。私たちが日本中にある空襲の悲惨な体験を時を超えてたどり、実感することで、シリア内戦の空爆の悲劇を自分たちの問題として意識するこもできるでしょうし、逆にインターネットを通じて生々しい空爆現場の映像が流れているシリア内戦の悲劇を知ることで、同じことが70年前に、いまの若い人たちの祖父母が経験した悲劇として実感することもできるでしょう。

 私は中東に関わるジャーナリストとして、いかなる空爆にも反対の立場です。シリア人権ネットワークの発表では、2016年に1万6千人以上の民間人が死亡し、その75%は、アサド政権軍やロシア軍による攻撃です。民間人の死者の多くは空爆によるものでしょう。一方で、米国が主導し、日本も関わっている有志連合による「イスラム国」への空爆で537人の民間人の死者が出ています。アサド政権軍やロシア軍の空爆が許されないのと同様、有志連合によって「イスラム国」地域であれ、500人の罪のない市民が死んだことが許されるはずがありません。

 日本人はシリアの空爆の悲劇を無関係とは考えられないはずです。日本での<空襲・空爆>の悲劇の記憶は決して過去のものではなく、それはシリア内戦をはじめ中東で続く空爆として繰り返され、続いていることを、日本に伝え、時間と空間を超えて、つなげていかねばならないと思います。