ニューズウィーク日本版のコラムで<映画『オマールの壁』が映すもの>という文章を2回に分けて書いた。人間ドラマとしての読み解きやパレスチナ問題との意味合いの解説である。しかし、映画を見終わって残る謎については、コラムでは書かないことにした。謎とは、なぜ、主人公のオマールはイスラエルの秘密警察のラミ捜査官を銃で撃ったのか、という結末にある。コラムは解説にとどめ、謎解きは私の個人ホームページで書くことにした。この謎解き部分は、ぜひ、映画を見てから読んでいただきたい。その方が映画の深さと面白さをより理解できると思う。ハニ・アブ・アサド監督の「オマールの壁」のポスター

 
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 映画を見た人には分かるだろうが、オマールをだまして、恋人のナディアを奪って結婚したのは、幼馴染のアムジャドである。アムジャドは「ナディアを妊娠させた」と嘘をついた。パレスチナでは未婚の女性に子供ができることがあれば、家の恥として家族に殺されかねない。オマールは自分は身を引いて、アムジャドとナディアを結婚させることでナディアを守ろうとした。ところが、2年後にアムジャドとの間で2児の子どもをもうけたナディアと会って話をして、アムジャドと結婚した時には妊娠していなかったことが分かった。アムジャドがオマールに「ナディアが妊娠している」と語ったのは嘘だった。アムジャドはオマールをだまして、ナディアと結婚したことになる。

 この後、オマールはイスラエルのラミ捜査官に電話して、「犯人が分かったから、拳銃を用意してくれ」と頼み、ラミと落ち合う。オマールはラミから銃の撃ち方を教えてもらった後、「サルの捕り方を知っているか」とラミに言った後、ラミを撃つ。

 私は講義をもっている東京都内の大学で、『
オマールの壁』を取り上げて、自主講座として「映画を語る会」を開いた。ある学生が、「オマールがラミに銃をくれと言った時に、裏切ったアムジャドを撃つのだと思った。なぜ、ラミを撃ったのだろう」と疑問を語った。実は私も、オマールは拳銃でアムジャドを撃つのだろうと思った。しかし、ラミを撃つ前に「サルの捕り方を知っているか」とラミに問うのを聞いて、すべての場面がフラッシュ・バックし、最後の結末を理解するために、この映画では精緻な伏線が敷かれているのに気づいた。

「サルの捕り方を知っているか」という言葉が、謎を解くカギである。ニュースウィーク日本版<映画『オマールの壁』が映すもの>(2)で詳しく書いたが、「サルの捕り方」というのは、オマールがイスラエルの秘密警察に捕まって尋問を受ける前に、アムジャド、タレクの幼馴染の3人が集まった場で、アムジャドが披露した逸話である。
 

オマールはアムジャド、タレクと一緒に、夜イスラエルの陣地を攻撃するために行き、アムジャドがイスラエル兵を銃で殺害する。ラミは銃を撃ったのはタレクだと考え違いをしていた。さらにオマールとナディアが恋人同士だということも知っていることから、オマールはアムジャドがラミに情報を流していることに気付いた。そして、「サルの捕り方」の話も、ラミが話したことを、アムジャドが受け売りしたと考えたのである。つまり、オマールがラミを撃つ前に「サルの捕り方を知っているか」と言うのは、「アムジャドにサルの捕り方の話を離したのはお前だな」という念押しになる。
 

アムジャドの話を思い起こすと、サルに罠をかけて捕えるという話をした時に、タレクが「サルをとってどうするのか」と問う。それに対して、アムジャドは「スウェーデン行きの奨学金を与えるのだろう」と答える。私は、映画の中で、このアムジャドの答えを聞いて、サルはパレスチナ人のことだと思った。なぜなら、「奨学金をとってスウェーデンに行く」とは、イスラエルの占領からの脱出することを夢見るパレスチナ人の若者たちが最も望んでいることだからだ。しかし、このアムジャドがこの話をしたのは、映画のごく初めのころで、イスラエルの秘密警察が登場してパレスチナ人の若者を協力者に仕立てるという話の本題に入る前だったので、アムジャドの話だけでは、サルの話と秘密警察とは結びつけなかった。

 しかし、オマールが最後の最後にラミに対して「サルの捕え方」の話を持ち出したことで、「サルの捕え方」という話は、イスラエルの秘密警察が
パレスチナ人に砂糖を与えて、罠をかけ、生け捕りにするという話であり、パレスチナ人をスパイに仕立てる秘密警察の発想からの逸話だということが分かった。サルの話と秘密警察が最後に繋がる。
 

これだけでは、まだ決定的ではないが、「サルの捕り方を知っているか」という言葉が、オマールがラミに引導を渡す言葉となると考える理由は、「お前はアムジャドにサルの捕り方の話をしたな」という念押しだけでなく、「ナディアを妊娠させた、という嘘をアムジャドに吹き込んだのも、お前だな」というもう一つの念押しになるためである。
 

なぜなら、「ナディアには秘密がある」と言ったのはラミである。ラミはオマールに「スパイ」になることを求めて釈放する前に「秘密は秘密のままにしておくのがいい。お前が裏切れば、我々は彼女の秘密をばらす」とオマールに警告する。オマールはアムジャドの告白を聞いて、ラミが言ったナディアの秘密とは彼女の妊娠のことだと知らされる。しかし、ナディアが妊娠していなかったとすれば、ナディアには「秘密」はなかったのとになる。ラミはアムジャドに「ナディアの妊娠」という嘘を吹き込み、オマールに「ナディアの秘密」という罠を仕掛けたことになる。
 

オマールはアムジャドがナディアの「秘密」をラミに話したと考え、釈放された後、アムジャドにナイフを突きつけて、「ナディアについて何を話したのか」と詰問する。そこでアムジャドは「俺がナディアを妊娠させた」と「秘密」を明かした。それは嘘だったが、ラミから「ナディアの秘密」と吹き込まれていたオマールは、アムジャドの嘘を信じてしまう。もちろん、観客も、ナディアに「秘密」があると信じて、アムジャドの話を信じてしまう。オマールと同様に観客も騙されるのである。 
 

ラミは秘密警察のパレスチナ担当の捜査官という仕事柄、パレスチナ人の心理やパレスチナ社会については知り尽くしている。ましてや、人生経験のないオマールやアムジャド、ナディアのような初心な若者を手玉にとるのは、苦もないことである。ラミはアムジャドがナディアに恋心を抱いていることを知り、オマールに「ナディアを妊娠させた」と嘘をつけば、オマールはナディアを守るために男気を出して身を引くと計算したのだろう。
 

イスラエルにとっては、仲間を裏切って情報を提供するアムジャドは真のスパイである。それにくらべて、オマールは強情で、拷問を受けても、アムジャドが銃を撃ったことを自白しない。オマールは自分を犠牲にしても仲間を守り、恋人を守ろうとする。ラミはそんなオマールの性格を逆手にとって、アムジャドをスパイに仕立てるために、ナディアとの結婚という彼の希望さえかなえさせる役として、オマールを利用したのである。

 ニューズウィーク日本版のコラムで、「オマールの壁」でイスラエルの秘密警察のラミ捜査官に妻子がいることが分かる場面が出てくることには特別の意味があると書いた。ラミがオマールを尋問している場で、妻から携帯に電話がかかり、娘を幼稚園に迎えに行ってほしいと頼まれる。「いま、ヨルダン川西岸にいるから無理だ」と答えるが、その後、自分の母親に電話して、娘の幼稚園の迎えを母親に頼む。 パレスチナ映画ならば、無人格のキャラクターとして映画かれるはずのイスラエルの占領当局の捜査官に人間的な要素を付与しているのである。

 これについて、アブ・アサド監督は、米国でのインタビューで、この捜査官を人間的に描きすぎだという批判がパレスチナ人の間からもあることを認めたうえで、「人間性がある方がより恐るべきことなのだ」と語っている。ラミには妻子がいて、イスラエルではよき夫、よき父親として生きている人間が、パレスチナ人の若者に残酷な罠をかけ、恋人の間を引き裂き、親友の間を裏切らせるように仕向けているのである。

 なぜ、オマールがラミを撃ったのかという謎を解くことによって、「オマールの罠」で描かれるイスラエルの占領当局者の残酷さは、パレスチナ解放を実現しようとするパレスチナの政治を挫こうとするものではなく、パレスチナ人の人間性を挫こうとするものとして描かれていることが見えてくる。

 この映画は、謎について、伏線だけを張って、読み取ることができるかどうかは、観客に任せている。読み取れなくでも構わない、という立場であろう。観客は、オマールと共にアムジャドに騙され、最後にオマールと共に衝撃を受け、アムジャドに怒りを覚える。ところが、オマールはその怒りをラミにぶつけるわけで、観客には割り切れないような奇妙な後味が残ることになる。観客がラミに共感を覚えるようなキャラクターづくりが行われているためである。本来なら自分を裏切った友人に報復すべきなのに、それをイスラエルの占領のせいとしてラミを殺害して恨みをはらしたという怒りに駆られた若者の行動という誤解を与えたままにもなりかねない。

 パレスチナ人のアブ・アサド監督は、自爆テロやイスラエルによるパレスチナ占領など、米国では拒否反応を引き起こしかねないテーマや題材を商業映画、娯楽映画としてつくっている。イスラエルの占領に関わる謎が映画の中で明かされないという映画のつくりには、監督の巧妙な狙いと意図があるはずである。伏線を読み解くか、読み解かないかによって、ラミに人間性を付与した意味は、正反対となる。伏線を読み解かなければ、ラミは観客から共感を受け、同情される存在である。しかし、伏線を読み解けば、ラミはその人間的なキャラクターを与えられているために、人間性を裏切った全く別の顔が見えてくる。それは、監督が観客にしかけた罠かもしれない。(2016/05/13)


◇映画『オマールの壁』が映すもの(1)パレスチナのラブストーリーは日本人の物語でもある

http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/05/1_1.php

◇映画『オマールの壁』が映すもの(2)不毛な政治ではなく人間的な主題としてのパレスチナ問題

http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/05/2.php



※『
オマールの壁』について、みなさんがどのように見たか、ぜひ、感想をコメントとして書いてください。