安倍首相は2013年9月の国連総会演説で、日本の中東への関わりとして、ヨルダンの南部地域で、「女性の地位向上や家族計画」プロジェクトにマネジャーとして関わったJICA(国際協力機構)の佐藤都喜子さんの名前を挙げて取り上げた。
「女性の地位向上」や、子供の数を減らそうとする「家族計画」など、伝統的なイスラム世界の価値観には異論もあり、アラブ人の人口を減らし、アラブ世界を弱体化させる狙いではないかと批判されかねない。
佐藤さんはほとんど不可能としか思えないプロジェクトを10年以上にわたって継続し、実際に地元の部族にも受け入れられていた。
その秘密はなぜかと考え、私はこのプロジェクトを現地で取材したことがある。
私が感じたのは、佐藤さんや、彼女のスタッフの熱意によるところは大きいが、大きな前提は、日本のプロジェクトだったからだということである。
アラブ世界、イスラム世界に対する植民地支配や軍事介入など、様々な過去の負の遺産を抱える欧米のプロジェクトであれば、いかに「人道主義」や「社会開発」を強調しても、決してアラブ・イスラム社会では受け入れられなかっただろう。
佐藤さんのプロジェクトが実施されたのは、くしくも、今回、「イスラム国」に拘束されたヨルダン人パイロットの出身地であるカラク県である。
山がちな貧しい地域であり、部族の伝統が根強く残る。
そこでヤギの飼育やハチを育てる養蜂などの少額の事業資金を女性たちに提供し、現金収入を得る方法を指導し、同時に家族の在り方とともに実践した。
私は佐藤さんと一緒にカラク県を回り、何人もの参加した女性たちに会ったが、女性たちがほとんど表にでない地域で、私のような外国人ジャーナリストの質問に、堂々と答える女性たちの変化に驚いた。
女性たちは収入を得たことで、初めて夫とともに「お金を何に使うかを話し合った」と言った。それまで家庭のことはすべて夫が決め、妻の発言はなかった。
女性たちは収入を得て、家庭での地位が強くなるのは当然のことだったが、さらに驚いたのは、一緒にインタビューに応じた夫たちが妻の話にうなづく姿だった。
夫たちは妻が始めた事業に参加し、力仕事を受け持つなどして、ビジネスは女性のビジネスではなく、ファミリービジネスとなっていた。
夫たちは妻が働いてビジネスが始まり収入が増えたことを、自分を含めた家族の利益と考えて、積極的に参加しようとしていた。
イスラム社会では女性の地位が低いと問題になる。しかし、夫婦の変化を見ると、女性の地位の低さは、それは女性蔑視のためではなく、男性が外で働き、女性は家庭を守るという伝統的な役割分担の問題であり、その役割分担の形が変化すれば、夫と妻の関係も変わってくるのではないか、と考えた。
日本の支援は、アラブ社会の可能性を引き出しているように思えた。
中東諸国は、欧米との間では複雑な歴史を抱えるが、日本は先進国の中で、中東の国を力で支配しようとしたことのない国である。中東の人々は、日本を「成功」のシンボルと考え、非常に親日的である。しかし、中東の人々が、車や電気製品以外に日本のことを身近に感じる機会はあまりにもすくない。
佐藤さんが率いたヨルダンでのプロジェクトは、ヨルダン国内でも話題となり、日本の「成功」のイメージを実現するものとして、現地の新聞やテレビでも取り上げられた。
日本がイラク戦争後にイラク南部のサマワに自衛隊を派遣した時も、サマワの人々は「日本の自衛隊が来れば、イラクの復興はサマワから始まる」と大きな期待をかけた。
それは大きすぎる期待であり、自衛隊と外務省が行った道路や学校の改修などの復興支援事業は、治安の悪化や現地の行政と業者の腐敗に蝕まれて、悲惨な結果しか残すことはできなかった。
イラク戦争から10年後の2013年春、私はかつてサマワで一緒に取材をしたイラク人の元助手たちに頼んで、外務省と自衛隊の活動がサマワに何を残したかを調査してもらった。多くの関係者にインタビューしてもらった結果、自衛隊が撤退して6年以上を経た後も、サマワの人々が感謝していることがあった。
それはサマワ病院に対する支援である。
自衛隊の医務官が指導したり、外務省が行った研修に参加したりしたイラク人医師たちが、殺菌や滅菌などの衛生管理を身に着け、それは自衛隊が撤退した後も、サマワ病院に受け継がれ、手術後の院内感染の予防や、新生児の死亡率を減らすなどの成果を上げていた。サマワ病院には、イラクの他の州の病院から、「秘密」を知ろうと視察者が来るようになったという。
外務省がサマワ病院に供与した最新の医療機器はすでに壊れても、技術を伝え、人を育てる援助が、人々の間に「日本の貢献」として残っていることが分かった。
長年、中東を取材していて、人々から「ありがとう」と言われる経験はある。
その一つは、カイロで日本が支援したカイロ大学に付属する子供病院を建設し、整備したことである。人の命を救う事業が、人々に対して大きな貢献となり、感謝される事例である。
今回の「イスラム国」による日本人拘束事件で、ジャーナリストとして紛争地に出向き、戦争の犠牲になる女性や子供に焦点を当ててきた後藤健二さんが「敵国の国民」として殺害されたことの意味を、日本政府も国民も深く考える必要がある。
いま、日本がアラブ・イスラム世界に送るべきメッセージは、「イスラム国」と闘うという決意ではないはずだ。日本はこれまで中東に対して、人々の命を助け、生活を豊かに、人々の苦しみを和らげる人道支援、社会支援、経済支援をし、これからもそれを続ける、という決意ではないだろうか。
その決意を、実行することによって、「イスラム国」が今回2人の日本人を「敵」として殺害したことは、全く間違った行為であり、イスラムにも反する行為である、ということを広く中東・イスラム世界の人々に、さらに「イスラム国」に共感を抱く若者たちに対してさえ、知らせることができると考える。 (おわり)
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