※朝日新聞WEBRONZA(2015年02月03日)
シリアとイラクにまたがるイスラム過激派組織「イスラム国」による日本人拘束事件で、湯川遥菜さんと後藤健二さんの日本人2人が殺害された。この事件は、日本がこれから「イスラム国」にどのように対応するか、というだけではなく、中東に対してどのように関わるかという重大な問いを突き付けている。
安倍首相がカイロでのスピーチで、「日本は、自由と民主主義、人権と法の支配を重んじる国をつくり、ひたすら平和国家としての道を歩み、今日にいたります」と語った。
しかし、日本が支援しようとしている中東の国々で、「自由と民主主義、人権と法の支配」を重視している政権はどこにあるというのだろうか。
安倍首相が演説をしたエジプトでは、1月25日に民衆革命4周年で若者たちのデモがあったが、20人を超えるデモ隊が治安部隊の銃撃で死に、国際的な人権組織「ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)」は「エジプト政府の過剰な武力行使は独立機関によって捜査されるべきだ」と主張している。
「イスラム国」という怪物を生み出したのは、米国によるイラク戦争と、戦後の武力行使中心の占領政策であり、さらにシーア派政権の力でスンニ派を抑える強権的な手法であり、シリア内戦でのアサド政権による軍事力に任せた弾圧政策である。
4年前に若者たちがカイロのタハリール広場を埋め、「アラブの春」の象徴だったエジプトで、民主的な選挙で選ばれたイスラム系の大統領が軍によって排除され、いまではイスラム系組織だけでなく、若者たちのデモも抑えられているエジプトの状況も、若者たちの失望と落胆を生み出している。
安倍首相は中東の「過激主義」について警告したが、「過激主義」は「イスラム国」のようなイスラム過激派組織だけにあるのではなく、「アラブの春」で若者たちからわき上がった民主化や自由を求める要求を力でつぶした中東の各政権側にもある。
フランスでのイスラム過激派の若者が銃で武装して新聞社を襲撃した事件について、記者やイラストレーターを殺害するような荒っぽい手法の背景にあるものとして「フランスの襲撃事件と中東のミリタリズム」(上、下)として書いた。
「イスラム国」が見せる残虐な行為と、フランスでの新聞社襲撃事件は、すべてを戦争という枠でとらえ、「敵」を力で排除しようという思考が共通している。しかし、同じ思考は「アラブの春」を力でつぶしたシリアのアサド政権に代表されるように、中東の権力に蔓延している。
それをさかのぼれば、「アルカイダ」による9・11米同時多発テロの恐ろしい破壊と、それに対抗したブッシュ政権が、「対テロ戦争」を叫んでアフガン戦争、イラク戦争に踏み込んだ過剰なミリタリズムに行き着く。9・11事件の根源には、米軍が「多国籍軍」を率いて中東で大規模な戦争を行った「湾岸戦争」がある。
軍事行動とテロの報復によって、双方が武力で問題を解決しようとする。中東は荒廃し、権力は武力によって秩序を維持しようとし、イスラム過激派は若者たちの絶望を吸い取って肥大する。これが、この25年間、中東で続いてきたことである。
「イスラム国」という現象は、国際社会や中東諸国が解決しなければならない問題であることは言うまでもない。しかし、「イスラム国」の凶暴さの対極に、延々と軍事的な解決を続けてきた米欧の政策があり、さらに安倍首相がいう「自由と民主主義、人権と法の支配」を重んじているとは言えない中東諸国の各政府の力による支配がある。
「平和主義」を掲げる日本が、中東に対してとるべきは、「対テロ戦争」を含めて、あらゆる戦争に加担しないという立場を明確にしたうえで、人道主義とともに、人々の生活を豊かにし、いくらかでも若者たちに希望を与える社会づくり、国づくりを支援することである。
今回の安倍首相の中東歴訪でのスピーチが、「非軍事」であっても、あらゆる方面から「戦争への支援」と受け止められたことは、日本政府にとって、今回の事件の大きな反省材料であるはずだ。
今回、日本が打ち出した「イスラム国」周辺での難民支援や避難民支援など、日本の人道支援の役割は重要である。しかし、それは「『イスラム国』との闘いを支援するため」ではない。家を失い、故郷を追われてきた人々が苦境に陥り、過激派の温床になりやすい難民キャンプで、特定の宗教や政治的立場に偏らないで人々を助け、未来に絶望しないような支援として実施すべきである。
周辺国に逃げている民衆は、「イスラム国」の支配地域が、「戦場」となったため逃げた人々であるが、「イスラム国」の抑圧政策から逃げてきた人々もいれば、米欧など「有志連合」の空爆をおそれて逃げてきた人々もいる。
政治的にはシリアやイラクの政権の支持者もいれば、反体制の支持者もいるし、中には「イスラム国」の支持者も混じっているかもしれない。民族的にも、宗教も様々である。
日本政府や日本のNGOが中東の難民支援や社会、経済支援に関わる大きな意義は、支援を通じて、日本が中東を支配しようというような下心も野心も持っていないし、そのように誤解されることもないということである。
日本は、特定の政治や宗教、民族に組みすることなく、中立的な立場で、支援を与える相手の困難な状況を、相手の立場に立って改善することによって、問題が、政治や宗教や民族の対立につながることを防ぐこともできる。 (つづく)
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