※朝日新聞デジタル:WEBRONZA 2015年02月02日
後藤さんを殺害する「イスラム国」の映像が2月1日、インターネットで公表された。事件は最悪の事態となった。「イスラム国」の残虐さを許すことはできない。しかし、今後、日本政府と日本国民は、「イスラム国」にどのように対抗していくかが問われる。
「イスラム国」は後藤さん殺害を公表した映像のなかで、「日本は戦争に参加するという愚かな選択をしたために、(後藤)健二は殺される」と語った。「イスラム国」の狙いは、72時間の期限をつけた最初の脅迫ビデオから一貫している。
「日本が戦争に参加した」と唱えることで、「平和主義」の中東政策をとり米欧とは異なる立場の日本を「敵視」することである。
日本が今後、米欧と足並みをそろえて「対テロ戦争」に加担することになれば、「イスラム国」の狙いにはまってしまうことになる。アラブ世界の民衆のほとんどが、残虐な「イスラム国」を非難する立場だ。
しかし、だからと言って、米欧による「イスラム国」への空爆を歓迎しているわけではない。
日本は今回、ヨルダンに現地対策本部を置いた。「イスラム国」に拘束されているヨルダン空軍のパイロットの出身部族の集会では、パイロットの解放を求める声とともに、「ヨルダンは有志連合から脱退すべきだ」という声が上がっていた。
アラブ世界の民衆の思いは、「イスラム国」支持でもなく、「有志連合」の空爆支持でもなく、その間にある。日本人が「有志連合」を支援するような立場をとれば、アラブ民衆の間に、日本が「イスラム国」に敵視されるのも仕方ない、という構図に入ってしまう。
そもそもテロとも戦争とも関係ない後藤さんが、ヨルダンでの爆弾テロに送られた女性死刑囚と、「イスラム国」の空爆に送られて拘束されたF16パイロットの人質交換という「対テロ戦争」の構図におかれたこと自体が、間違いだったというしかない。今後、この構図の中で日本が動くならば、後藤さんだけでなく、日本人全部が、戦争の中に置かれることになる。
後藤さんが殺害される前の朝日新聞の報道によると、安倍政権は今国会で成立をめざす安全保障法制の中で、今回の「イスラム国」による邦人人質事件への対応を念頭において、人質救出のために自衛隊を海外に派遣することや、オバマ大統領が「イスラム国」掃討のために「有志連合」への参加の呼びかけがあることを念頭に、「必要な支援活動の実施」を検討するという。
安倍首相が今回の中東歴訪で表明した立場は、米国と「有志連合」による「イスラム国」への戦争に対する「必要な支援活動の実施」を表明したものとして、「イスラム国」だけでなく、欧米のメディア、さらにアラブ諸国のメディアなどから受け止められたのである。
結果だけを見れば、今後の安保法整備を先取りしたような形になっている。
安倍首相が歴訪したのは、あちこちで火の手があがっている中東という外交の舞台である。
安倍首相に「日本の戦争支援」を表明するつもりがなかったのならば、そのように受け取られ、「イスラム国」から即座に反発がきて、あわてて「人道支援だ」と強調したのは、現状認識の甘さと思慮の足りなさが責められるべきだ。
カイロでの安倍首相のスピーチは、日本の中東政策を世界に向けて示す重要な場であったのであり、一言一句が検討され、選ばれたものであるはずだ。
その中でも、「『イスラム国』と闘う周辺各国への支援の2億ドル」という文言にこそ、スピーチの肝であり、安倍首相の意図が込められていると考えるしかない。
このくだりで、日本語では「克服」するという意味を含む「闘う」の言葉を使い、軍事的な意味が強い「戦う」を使わなかった。
そのようなニュアンスはあくまで日本向けでしかない。問題の克服などを示す「contend」という言葉が使われているのも、日本政府としては「戦争」への支援としたくなかったのだろう。しかし、そのスピーチは「日本の戦争支援」と翻訳され、世界と中東に広がったのである。
それは日本の意図でも、安倍首相の意図でもない、というのかもしれない。しかし、中東では「イスラム国」に対して周辺各国が戦争をしているのであるから、「闘い」と言ったところで、「戦う」「戦争」と理解されるのは当然のことである。
無論、安倍首相も、日本の外務省も、首相のスピーチがどのように受け止められるかは想定していたはずだ。スピーチの核心部分で、あえて「『イスラム国』と闘う周辺各国への支援」と言ったことで、「イスラム国」に対する戦争を行っている米国や「有志連合」に参加するアラブ諸国にたいして、「日本の戦争支援」をアピールしようとしたと考えるべきだろう。
世界を敵に回して、巧妙なメディア戦術を展開している「イスラム国」は、狙いすましたように、「日本は戦争に参加した」と決めつけて、後藤さんらにナイフを向けた。
それも、安倍首相のスピーチに直接、反発するのではなく、声明の冒頭で、NHKやBBCの報道を引用して、日本が「戦争支援」に踏み切ったことを示し、日本人に対する自分たちの「テロ=敵対行為」の理由付けとした。
「イスラム国」が発表したビデオ声明の冒頭で、「日本の首相よ。おまえは『イスラム国』から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んで『イスラム国』に対する十字軍に参加した」と語っているのは、戦争をしかけてきたのは日本の方で、自分たちは売られた戦争だと言おうとしているのである。
「イスラム国」が掲げるイスラム法では、受け入れられる戦争の条件が決まっており、イスラム教徒の土地への攻撃に対する防衛戦争は、その一つである。
「イスラム国」のようなテロ組織のこんな理屈につきあう必要はないと思うかもしれない。だが、「イスラム国」が欧米に対して、このように自分たちを正当化することはない。しかし、今回、「戦争を仕掛けてきたのは日本だ」と、日本の「戦争支援」を掲げて、日本人への敵対行為を正当化しようとしている。
それは、「イスラム国」に参加している若者や彼らの支援者の中にも、日本に親近感を持つ人々がいるために、「イスラム国」はわざわざ「イスラム」の論理を持ち出して、日本や日本人への敵対行為を説明しなければならなかったとも考えられる。
今回の邦人人質事件では、情報戦が大きな要素を占めていた。日本にとって重要なことは、「イスラム国」が意識的に発した「日本敵視」や「日本の戦争参加」というメッセージが、アラブ・イスラム世界で独り歩きしないようにしなければならないことだ。
安倍首相は後藤さん殺害後に「イスラム国」に「罪を償わせる」と述べた。それはどのような意味なのか。日本が行うのは「人道援助」であり、米国が率いる「有志連合」の戦争に対して、軍事的にはもちろん、非軍事的にも支援するつもりはないことを明確にすべきだ。
首相が中東歴訪で、「イスラム国」への「戦争支援」と受け止められる演説をし、その後で「イスラム国」から邦人が人質に取られれば、首相はあわてて「人道支援だ」といい、さらに「自衛隊による邦人救出」の法整備論がもちあがる。このような一貫性のない場当たり的な対応でよいのだろうか。
次回は、「イスラム国」による日本敵視に対抗するためには、日本はどうすべきなのか。中東での日本の立場について考えてみたい。 (つづく)
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