*朝日新聞WEBRONZA 2015年01月13日
フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」の襲撃事件は、イスラム過激派によるテロの脅威を如実に示した。
この事件で、注目しなければならないのは、大量の武器を用意して実行された武力攻撃だったという点だ。9・11事件後に起きた欧州でのイスラム過激派のテロといえば、マドリッドの列車爆破やロンドンの地下鉄爆破など、爆弾テロばかりだったが、今回は、武装した都市ゲリラの行動のような変貌を見せている。
この事件は、今後対応を誤れば、欧米で同様の武装テロが続く転換点になるかもしれない。考えなければならないのは、パリの中心部で、過激な武闘派の行動が起こる背景として、中東でのミリタリズムの蔓延があるということである。
国家のレベルでは「軍国主義」などと訳されるミリタリズムだが、反体制組織が選挙参加やデモという平和的合法的な手段ではなく、武装闘争やテロ手段によって政治的な目的を達成しようとする武闘主義や武断主義もまたミリタリズムである。
爆弾テロは爆弾を入手または製造すれば軍事的には素人でもできるが、自動小銃などを使ったゲリラ型テロは、訓練が必要であり、武器の準備や作戦の立案から実際の戦闘まで軍事的にはレベルが上がる。
報道によると、新聞社襲撃の実行犯は、編集会議の場に入って、イラストレーターらの名前を確認して殺害したとされる。さらに新聞襲撃とは別に起きた警官襲撃事件の容疑者が事前に連絡をとり、武器購入で協力していたとの情報もある。
新聞社襲撃の容疑者の兄弟のうち兄は2008年にイラク戦争後に駐留米軍と戦うための戦闘員を送ろうとした容疑で実刑となり、弟は2011年にイエメンのアルカイダで軍事訓練を受けたとされる。
メディアは事件の容疑者と、国外、特に中東とのつながりを探ろうとしている。
AP通信はイエメンの「アラビア半島アルカイダ」のメンバーの話として、「アルカイダ指導部が攻撃を指示した。イスラム教徒の神聖なものを汚したためだ」と語ったとする。
朝日新聞によると、フランスのテレビ局の電話インタビューに対して、新聞社を襲撃した容疑者の兄が、「イエメンのアルカイダによってここに送り込まれた」とし、アラビア半島アルカイダの有力指導者の資金援助を受けたと語ったが、支援を受けた時期は2011年より前という。今回の事件は、イエメンのアルカイダの直接の指令というよりも、「イスラムの敵に報復せよ」というかつてのアルカイダの指導者ビンラディンが唱えた原則を実行したということであろう。
一方、警察襲撃からユダヤ系商店で人質事件を起こした別の容疑者は、自らが「イスラム国」に属しているとし、「イスラム国」の最高指導者であるカリフを名乗るバグダディ師に忠誠を誓うビデオがインターネットで流れている。
行動の理由について、「フランスが『イスラム国』とカリフを攻撃したからだ」と答え、フランスが「イスラム国」攻撃から手を引くことを求めた、という。だが、「イスラム国」には行ったことはないという。
こちらも「イスラム国」からの指令を受けて行動を起こしたというよりも、米国とその支援国による「イスラム国」への空爆に報復せよという一般的な指令を実行に移したということであろう。
どちらも、今回の軍事行動は、アルカイダや「イスラム国」からの個別の指令ではなく、支持者として、独自の判断で起こしたと考えたほうがいいだろう。
しかし、なぜ、いま、過激なテロが起こったのだろうか。
襲撃された週刊新聞がイスラムの預言者ムハンマドの風刺画を掲載して、イスラム世界で抗議のデモが広がったのは2006年のことである。2011年には「ムハンマド編集」として「イスラム法」を茶化す特集をだし、さらに2012年に米国でムハンマドを中傷する映画が作られてイスラム世界で激しいデモがあった時にも、ムハンマドを風刺する特集を出している。
インターネットに掲載された風刺画を見ると、イスラムの預言者を裸にし、茶化すというかなり下劣な風刺である。預言者の絵を描くこと自体、イスラムの教えに反すると考えるイスラム教徒の多くが、宗教感情を傷つけられたと感じる心情も理解されなくてはならない。
一般のフランス人の間にも風刺画への批判があるともされる。イスラム風刺では〝札付き〟だった新聞が、いまになって武装攻撃を受けたのは、なぜだろうか。
欧米でも日本でも、これまでは「イスラム国」に欧米から多くのイスラム教の若者が戦闘員として入っていることが問題とされ、その若者たちが将来、帰国した後に、各国内でテロを起こすことを警告する声が多かった。
しかし、今回、フランスで起こったことは、「将来」の話ではなく、「イスラム国」で戦っている若者が帰国するのを待つまでもなく、いまの中東情勢の悪化が波及する形で、欧州で過激な武装テロが起こったということである。
アルカイダや「イスラム国」との関連で、中東でのミリタリズムの蔓延の起点となるのは、2011年の9・11米同時多発テロの後にブッシュ大統領がとった強硬な「対テロ戦争」である。米軍がイラク戦争でサダム・フセイン政権を倒した後、そのまま9年間戦闘部隊をとどまらせ、「対テロ戦争」を継続した。この間、4500人の米兵が死亡し、命を落とした民間人の数は、確認された数字でも11万人を超えるが、50万人を超えるという推計もある。
旧サダム・フセイン体制は軍国主義体制だったが、イラク戦争による体制崩壊によって、ミリタリズムは国家の独占から離れて、蔓延した。
シーア派もスンニ派もクルド人も、それぞれが武装した。部族、宗教組織や政治組織などあらゆるレベルで武装化が進んだ。各家庭まで自衛のためにカラシニコフ銃を準備するようになった。戦争によって崩壊した旧イラク軍が持っていた膨大な武器弾薬は部族に略奪され、それが武器商人に売られ、武器が拡散した。
さらに反米武装勢力を抑えるために、米国は大量の武器をイラクの警察や治安部隊に提供したが、その武器が部族や反米勢力に横流しされたことも知られている。イラクは現在の「イスラム国」につながる「反米聖戦」の戦闘員がアラブ世界からイラクに集まり、実戦訓練を含む軍事訓練を受ける場となった。
私が2010年にバグダッドに入って、イラクの軍情報部関係者に話を聞いた時には、反米武装勢力は、アフガニスタンとイラクを行き来し、欧州から来て、アルカイダ系組織で武装訓練を受ける者もいるという話を聞いた。戦争が起こり、それがずるずる続けば、武器や戦闘員が集まり、拡散するのは当然である。
中東でのミリタリズムの蔓延を生んだ第2の要素は、平和的な民衆革命として始まった「アラブの春」が、武器をとっての内戦へと推移し、権力や軍がなりふり構わぬ武力制圧を行ったことである。
内戦の始まりは、リビアであるが、NATOが武力介入し、飛行禁止空域を設定し、反体制勢力に武器を提供した。私がリビアのトリポリで話を聞いた若者はトリポリへの総攻撃の前に、欧米の軍事請負会社から武闘訓練を受けたと証言した。内戦によって国内に武器と戦争員があふれ、カダフィー政権崩壊後に武装民兵の台頭による国の分裂を招いた。
底なしのシリア内戦の激化に対して、国際社会は全く無力だった。内戦の死者は2014年12月で20万人を超えたとNGO「シリア人権監視団」は発表したが、これほどの悲劇になったのは、米国とロシアが、互いの利害を超えてシリアの流血をとめようとする努力をしなかったためというしかない。
2014年1月に開かれた国際和平会議「ジュネーブ2」の失敗は、その最たるものである。ジュネーブ2は外交セレモニーの場となり、国連が仲介しての政権と反体制派のシリア国民連合との協議は、何ら進展なく、終わった。
アサド政権は非人道的な「樽爆弾」を多用し、反体制勢力が支配する都市や町の兵糧攻め作戦をするなど、武力攻勢は歯止めが利かなくなった。和平協議は失敗し、政権軍の巻き返しに押されて、国内反体制の「自由シリア軍」と国外反体制派のイラク国民連合は影響力を失った。
その結果、シリア国民連合のように欧米を頼りとしない「イスラム国」が反体制勢力の人と金を集めて、勢力を拡大した。
平和革命を達成したエジプトで、民主選挙で選ばれた穏健イスラム派「ムスリム同胞団」出身のムルシ大統領が、2013年7月の軍のクーデターで排除されたことも、ミリタリズムの台頭の一つである。
同8月には反クーデターを掲げたムルシ支持派のデモ隊に対する軍と治安部隊の武力排除によって1日で600人以上が殺害された。欧米、日本は一時的に軍主導の暫定政権への経済援助を停止したが、すぐに制裁緩和へと動いた。
ムスリム同胞団の政権運営には多くの失敗もあったが、民主主義を否定した軍に対して、欧米が本腰を入れた対応ができなかったことで、エジプト社会は分裂し、混乱が続いている。
もう一つの中東でのミリタリズムの例を挙げるならば、2013年夏のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃である。
50日間の攻撃で2200人以上のパレスチナ人が死に、その7割が民間人だった。これほど民間人の犠牲が出たのは、世界で最も人口密度が高いガザの住宅地に無差別にミサイルや砲撃が行われたためと考えるしかない。国連が運営する学校もたびたび攻撃の標的となった。
中東は国際人権法や戦争法を無視した無法地帯と化している。それは国家権力や軍隊の過剰なミリタリズムによってもたらされた無法である。
フランスでの新聞社襲撃事件の後に大規模な抗議デモや集会が開かれたが、シリアやエジプト、ガザで欧米が唱える人権や人道主義とは相いれないほどの市民の犠牲が出たときに、欧米諸国や日本の政府や市民社会はどこまで真剣に動いただろうか。 (つづく)
初出はWEBRONZA
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015011300002.html
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